風城峠の回顧録

ゲームや本、地学のことなど

地学との出会い 第1回・新潟県に生まれて(1999年~2006年)

 僕は現在大学で地質学を学んでおります。地学という学問については、授業が開講されない高校も多く(僕の出身高校もそうでした)、また、地学系の学科がある大学も限られています。国立大だったら理学部、または理工学部のある大学にはだいたい設置してありますが、私立大だと地学系の学科のある大学はかなり少ないです(早稲田大、日本大、福岡大、岡山理科大、立正大、やや変化球だが同志社大など。文学部地理学科で自然地理学を学ぶという手もあるけれど・・・)だから、大学で学ぶ学問という観点から見れば、地学はマイナーな学問だと言えるかもしれません。地震、火山、台風など、災害の元凶となる自然現象が次々と襲い来るこの日本でですよ。ネットでは「地学系の学科に進んだら就職なんてできない」などと散々な書かれよう。(こういうのは所詮何も知らない人の戯言なので気にしない方が良いです。未来がどうなるかなんて、ネット民ではなく、あなたが決めることです)地学は、ある意味日本が抱える大きな矛盾を体現している学問分野だと言えそうです。

 

 さて、そんな地学の道になぜ進もうと思ったのか。なぜ地学に興味を持つようになったのか。それにはちゃんと理由があったからですよね。今回は、自分の人生を、地学的な面から振り返りたいと思います。

 

新潟県に生まれて(1999年~2006年)

 僕は1999年8月、新潟県上越市で生まれました。以前「新潟の冬~雪との闘い~」でも書きましたが、ここは日本海性気候の典型例と言って良いような地域です。実際に、社会(地理)の教科書や問題集にも、よく上越市高田の雨温図が日本海性気候の例として挙げられています。何が特徴的かと言うと、皆さんご存じの通り、冬の日本海側はとにかく天気が悪い。冬の週間天気予報では、東京は1週間ずっと晴れなのに、新潟は1週間ずっと雪か雨・・・みたいなのはよく見る光景ですよね。というわけで冬は雪がたくさん降るのが当たり前、むしろ降らない方が異常気象でおかしい、みたいな地域で育ちました。詳しくは「新潟の冬~雪との闘い~」を見てください。

 

 

shikakuyama.hatenablog.com

 

 

 小さい頃は冬になるとARAIリゾートに行ってソリ滑りをして遊んだ覚えがあります。(注、バブルの頃に計画された(開業したのはバブルが崩壊した少し後だけど)旧ARAIリゾートは、2006年に経営破綻し閉業、その後10年ほどゴーストタウン状態だったが、2017年に「ロッテアライリゾート」として生まれ変わりました)

 ちなみに、僕はスキーの腕前は全然です。初級者コースしか滑れませんよ。雪国民はみんなスキーが上手いと思ったら大間違い(笑)。

 

 嫌でも気候のことについて興味が湧いてくるような土地ですよね。さらに2004年10月23日、新潟県である災害が発生します。これによって新潟県は大混乱に陥りました。

 そう、新潟県中越地震です。

 その名の通り、新潟県中越地方を震源とした大きな地震が、2004年10月23日の17時56分に発生、地震の規模を示すマグニチュードは6.8、最大震度7新潟県川口町(現・長岡市)、震度6強小千谷市山古志村、小国町(後者2つは現・長岡市)で観測されました。震度計を用いた観測で震度7が観測されたのは、この地震が初めてのことです。僕の住む上越市も、本震やその後の余震で震度5弱~5強を観測しました。

 母親曰く、当時5歳の僕は本震の時テーブルの下で昼寝(時間的に夕寝?)をしていたそうです。母親は僕を起こそうとしましたが、なかなか起きなかったとか(震度5の揺れでも起きない当時の僕って一体・・・)。当時やや古い借家に住んでいたこともあって、家が壊れるかと思うくらいの揺れだったそうです。

 

 そしてこの中越地震の恐ろしいところが、激しい余震活動です熊本地震も余震がかなり酷かったですが、中越地震も負けてはいません。中越地震では、2004年末までに、最大震度6強の余震が2回、6弱が2回、5強が8回、5弱が7回観測されています。当日の18時34分に発生した最大余震では、M6.5、小国町、十日町市、川口町で震度6強を観測しました。十日町市では本震の時の震度は6弱であり、本震を上回る揺れが観測されたことが分かります。上越市でも本震並み、地域によっては本震よりやや強い揺れが観測されました。

 昼寝から目覚めた僕は、その後余震が来るたびに当時まだ赤ん坊だった弟の小さな布団を頭にかぶっていたことを覚えています。上越市でも震度3~4程度の余震がジャンジャン来ました。(上記の最大余震はひときわ大きかったはずですが、流石にそこまで細かくは覚えていません・・・)テレビからは延々と流れる地震のニュース。この地震で、NHKの震度分布を示す地図が自分の目に焼き付けられました。

 当時まだ5歳。そもそも地震というものが何かまだ分かっていなかった年齢です。僕が生まれてから中越地震までの間は、新潟県では特に目立った地震は起きていませんでしたからね。中越地震で、僕は人生で初めて「地震」という自然現象を学びました。

 

 

 とりあえず、雪、地震という二つの環境要因を挙げましたが、重要なものがもう一つあります。それは、フォッサマグナミュージアムです。

 フォッサマグナミュージアムとは、上越市のお隣、糸魚川市にある博物館です。地の利を生かして、地質学に関する様々な資料が展示してあります。2015年には展示内容が大きくリニューアルされました。

 アルバムを見ると、2003年の時点で既に僕がフォッサマグナミュージアムにいる写真が見つかりました。ただし、当時幼児の僕が岩石がどうこう、フォッサマグナがどうこうみたいな話に興味を示す訳も無く・・・。小さい頃の僕のお目当てはフォッサマグナミュージアムではなく、その隣にある美山公園の大きな滑り台でした。4歳~小1くらいまでは、その滑り台で遊ぶのが僕の最高の楽しみでした。フォッサマグナミュージアムなんか、その頃はただ親に連れられて仕方なく入っていただけです笑。ただ嫌いではありませんでしたね。テレビ石に流れる文字を見るのを眺めたり(今はこの展示はありません)、円状に細長い石の板が並べて置いてあって、スイッチを押すと石の上にあるマレットが自動的に動いて曲を奏でるという機械を楽しんだりしました。(これは昔と位置が変わりましたがまだあります)子供心をくすぐる展示があるのは流石ですね。こうして知らず知らずのうちに地学に洗脳されていったのかも・・・なんてね。

 

 ここからは美山公園の滑り台の話になりますが、小学校高学年になったとき、この滑り台を滑ってみようとしたら非常に窮屈で、もう僕は滑り台で遊ぶ年じゃないんだなということを痛感しました。そして2015年、高1になったときに再びこの場所を訪れたら、あれ、なんか違和感・・・。なんと思い出の大きな滑り台は無くなっており、後には前とはかなりスケールダウンした、正直言ってショボい滑り台が新しく置いてありました。また僕を育ててくれた景色が呆気なく金になった・・・なんてミスチルじゃありませんがそう思いたくなってしまいますよね。老朽化とかあるだろうし仕方ないことなのですが。

 

 最後に、僕は小さい頃から根っからの地図好きでした。これも後の地学好きに大きく関わってきそうですよね。

 

 

 今回の内容は以上です。今回は「チガクって何?」って頃の話でしたが、次回は小学生時代、自信を持って地学が好きだと言えるようになっていった頃の話です。お楽しみに。