風城峠の回顧録

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東日本大震災から10年 長野県北部地震の衝撃

 2年以上前、「地学との出会い(第2回)」という記事で東日本大震災について書いたが、今読むとかなり冗長な内容だったので、震災から10年のこの期に、適宜情報を追加しながら改めて書き直してみることにする。

 

 当時自分は小5であり、新潟県上越市に住んでいた。東日本大震災では大きな被害が無かった街だ。しかし、11日午後2時46分に起きた本震より、翌12日未明に起きた長野県北部地震の方が大きく揺れた。これにより、東北、関東の人々とはまた別の、この震災の不気味さを感じることとなった。

 東日本大震災の異常さの1つが、長野県北部地震のような、震源から遠く離れたところでも誘発地震が起きたことである。人口の少ない山間部で起きた地震なので、この地震に関してはもう忘れてしまった人も多いかもしれない。しかし、津波だけでなく、誘発地震が起きたという点でも、この大地震の恐ろしさを忘れないでいてほしい。そう思って、再び文章を書くことにした。

 

目次

 

 

3月11~12日、その時、自分は

 2011年3月11日午後2時46分、小学校にいた僕は、掃除を終えて自分のクラスの前の廊下にいた。そうしたら、廊下で掃除の反省会をしていた人々が突然座り出した。何だ?と思った1秒後に気づいた。地震だった。

 本震は、上越市では今までに経験がない程大きな揺れというわけではなかった。過去に体験した中越地震中越沖地震の揺れの方が大きかった。震度的には、1年に1度はある程度の揺れである。しかし、この地震は周期の長い横揺れであり、そして、まるでいつまでも続いているように思うほど長かった。このような点から見れば、今までにはなかった揺れだった。

 

 揺れが収まった後に放送が入り、震源などの情報が告げられた。この本震で、上越市内で観測された震度は4であった。

 

 その後いつも通りに帰りの会が行われ、不安を抱きながら家に帰った。3月中旬とはいえ、雪がちらつく寒い日だった。帰宅してテレビを付けると津波に襲われる港の映像が目に入った。深刻なニュースばかり見てると気が滅入るので、チャンネルをアニマックスに変えたが、全く気を紛らわすことが出来なかった。

 

 ただ、震源が遠いこともあり、帰宅後に揺れを感じることはほとんど無かった、というかその日のうちは記憶にない。震源は東北だから、こっちはもう大丈夫だろうと思い、いつも通り夜10時頃に眠りについた。しかし、この何時間か後、それが間違っていたことを思い知らされることになる…。

 

 まだ部屋が真っ暗な頃、体が上下に揺れているのに気付いて目が覚めた。それと同時に地震だと悟った。仰向けの状態で揺れを感じながら、恐怖よりも先に頭の中に次々に疑問符が浮かんできた。また東北沖で大きな地震が起きたのだろうか?だが、不可解なことに昼の地震よりも揺れがやや大きいのである。

 この頃はまだ小学生で知識がなかったこともあり、誘発地震という言葉なんて頭に全く浮かんでこなかった。だから、また東北沖でとんでもない地震が起きたのだろうか?としか最初は思えなかった。

 後から考えれば、東北沖の地震はゆ~らゆ~らとした横揺れだったが、この夜の地震は明らかな縦揺れだった。この震源の違いによる揺れ方の違いはその後の余震でも明瞭だったのだが、この時はそんなことは知るよしもなかった。

 

 揺れが収まってから、きっと震源は東北沖だから、またしばらくは来ないだろう、と思って、再び眠りにつこうとした。しかし、それほど間を空けることなく震度2程度の地震がまた来たため、これは流石におかしい、と思い、一階のリビングへと下りることにした。

  

 階段を下りた僕の目に飛び込んで来たのは、「長野県北部で震度6強」という文字が表示されたテレビの画面だった。そう、これがいわゆる「長野県北部地震」、または「新潟・長野県境地震」「栄村大震災」などと呼ばれる地震である。

 

 この地震は2011年3月12日午前3時59分に発生し、M6.7、長野県栄村で震度6強新潟県十日町市津南町震度6弱を観測した。上越市内でも最大震度5強を観測。実際に市内で震度5強の揺れとなったのは山沿いのごく一部の地域だが、平野部を含む比較的広い範囲で震度5弱を観測し、自分の住んでいた場所でも、体感的に5弱ほどにはなっていたと思われる。夜勤明けでこの時間でも起きていた母の証言からも、これはほぼ間違いないだろう。

 

 栄村は、上越市からすると市内南部にそびえる関田山脈の向こう側にある。自宅がある場所からだと近くはないが、決して遠くもない。まさか、こんなところでも地震が起きてしまうだなんて思いもしなかった。今回の地震は遠い遠い東北の話だと思っていたのだが、そんな話では済まされなくなってしまった。同じ新潟県内でも震度6弱になった地域があるのである。津南町に関しては、前年(2010年)10月に家族旅行で行ったばかりだった。

 そしてこれが起きたことにより、新潟県周辺では、中越地震中越沖地震長野県北部地震と、M6後半クラスの地震がわずか約6年半の間に3回も起きてしまったことになる。そのたびに周辺地域は強い揺れに襲われてきた。新潟県上越中越地方の人は、「またかよ…」と思った人もきっと多いことだろう。

 

 予想外の地震の発生に、僕は底知れぬ恐怖を覚えた。テレビには次々に地震速報が流れるが、地震のたびにその震源が変わる。それは宮城県沖だったり、茨城県沖だったり、長野県北部だったりした。この有り様を見て、僕の頭には以前観た「日本沈没」の映画のシーンが浮かび上がってきた。もしかすると日本はバラバラになってしまうのではないか…。そう考えてしまうくらい、この時は異常事態だった。

 

 長野県北部地震震源域は比較的近いので、上越市にも次々と余震が来るようになった。上越市では大きくて震度4、大半が震度1~3程度であったが、栄村では地震発生からわずか2時間の間に、震度6弱を観測する余震が2回も起こっていた(午前4時31分、M5.9 午前5時42分、M5.3)。上越市では余震の揺れの大きさはそこまででもなかったとはいえ、次々に来るので流石にもう一度寝る気分にはならなかった。テレビから鳴る緊急地震速報の音と、何度も来る余震の恐怖に包まれながら、夜明けまでを過ごした。

 

 

長野県北部地震の被害と教訓

 上越市ではほとんど被害がなかったので、翌日には元の日常が戻ってしまったが、揺れが強かった地域ではその爪痕が残り続けた。その一部を僕も実際に目にしたことがある。

 地震発生から8ヶ月近く立った2011年11月初め、僕は父親と関田山脈の天水山、三方岳の辺りにハイキングに出かけた。地図で見てもらえば分かると思うが、この山は栄村の北端に位置しており、長野県北部地震震源にかなり近い。震度6以上の揺れにほぼ確実に襲われたと思われる地域である。そのため、峠に至る林道の舗装は、あちこちで大きくひび割れていた。

 この地震により、栄村では700棟近い住宅に被害が出た(全壊33、半壊169)。当時の栄村の人口が2000人ちょっとであることを考えると、かなりの被害であると言えるだろう。また、震災関連死で3人の方が亡くなった。

 そして、山間部であるこの地域特有の被害であると言えるのが土砂災害と雪崩だろう。栄村や津南町は、ご存知の通り国内有数の豪雪地帯である。3月中旬とは言え、この地域にはまだ大量の雪が残っていた。気象庁のデータによると、津南町では2011年3月12日時点で227㎝の積雪があった(あくまで観測点における数値であり、これより多い場所も多々あるだろう)。この雪に強い揺れが加われば雪崩が起きてしまうのは自明だろう。被災地域では、豪雪に加えて地震と、二重の苦しみを味わうことになったのである。これらによる直接の死者が出なかったのは不幸中の幸いではあるが、住宅を含む多くの建造物が被害を受けることとなった。

 

 この地震が忘れ去られてしまうことにおいて、個人的に一番問題だと思っているのが、「豪雪地帯で大きな地震が起きた際の被害とその対処方法」が社会に広まらなくなってしまうことだと思う。雪国在住の方はお分かりになると思うが、大雪の際はただでさえ移動が困難になる。そんな時にもし大地震が起きてしまったら…。考えるだけでも恐ろしい。長野県北部地震は、このような時にどう切り抜けるかのヒントを提示しているかもしれない。僕は専門家ではないので今は何もできないが、有識者の方々には頑張ってもらいたい。

 

最後に、誘発地震の恐ろしさ

 規模の大きな地震は、時に他の地域での地震を誘発させることがある。2016年の熊本地震(M7.3)では、熊本県内だけでなく、大分県内での地震活動も誘発させた。しかし、M9という巨大地震になると、地震の誘発は隣県だけにとどまらず、非常に広い範囲に影響を及ぼす。東北地方太平洋沖地震の例でも、長野県北部地震のほか、秋田県沖の地震(2011年3月12日午前4時46分発生、M6.4、最大震度4)、静岡県東部の地震(2011年3月15日午後10時31分発生、M6.4、最大震度6強)などが誘発地震ではないかと考えられている。僕が現在住んでいる松本市でも、2011年6月30日にM5.4、最大震度5強の地震があったが、これも誘発地震の1つではないかと考えられている。

 巨大地震があった場合、このように震源から遠く離れた場所でも、その後に大きな地震が起こる場合がある。例え震源から遠く離れていて、本震では特別大きな揺れを感じなかったとしても、しばらくは警戒を怠るべきではないのかもしれない。

 

 

 

過去に書いた地学関係の記事

 

・地学との出会いシリーズ

 僕がどうして地学にはまったかを書いた記事。全4回予定だったけれど、書く気が無くなったので2回で止まっています。今後続きを書く可能性は限りなく低いです。正直第2回までで大体言いたいことは言ってると思う。

 

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 ・新潟の冬~雪との闘い~

  今年の冬は、新潟を含む北陸の各地で異常な大雪となりました。これは新潟県上越市を舞台に、そんな雪国での暮らしを書いた記事です。

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・【本当に正しい】日本の10万人以上の都市 降雪量ランキング

 アメリカの某メディアが世界各地の10万人以上の都市を対象に降雪量ランキングを作りました。すると日本の都市がトップ3入り!でもそのランキング、本当に正しいの…?

 ということで、僕が日本のみを対象にして、ランキングを作り直しました。こっちが広まって欲しい…。

 

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・「地震学」の本を読んだので感想を書いてみる

 僕が地震学の本にどう立ち向かったのか(立ち向かえたのか…?)を書いた記事。

 

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